<七> 高度解法(記述設問中心)~東大等旧七帝大対策~Ⅰ
- 「国語」は本来縦書きですが、レイアウトの都合上、横書きとしました。御了承下さい。
さあ、いよいよ満を持して最高峰へとチャレンジしたい。題して「旧七帝大対応」。 因みに、「旧七帝大」とは、明治から昭和にかけて「帝国大学」として設立された大学の総称で、設立順に東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学のことだ。「国立大学」となった現在でも無論、日本の大学のトップレベルだ。本章では無論、「東京大学」の「解法」を考えてみたい。東京大学の入試は「分離分割方式」(前期日程・後期日程)により学力試験(大学入試センター試験及び第2次学力試験)を実施するが、ここでは前期日程で検討する。センター試験の結果(900点満点を110点に換算)により行われる「第一段階選抜」ではおおよそ85%の得点(理科Ⅲ類では90%以上)があれば九分九厘「足切り」はないだろう。「第2次学力試験」の「国語」は文理別で、試験時間は文系150分、理系100分、配点は440点満点で文系120点、理系80点。「現代文」は2題(理系は1題)で配点60点(理系は40点)、「古文」「漢文」は各一題(文理共通)で配点各30点(理系は各20点)。 「現代文」の問題文自体はセンター試験をやや超える程度の難易度だが、全て記述設問(国公立大学は押し並べて「記述」)であり、採点がかなり厳しいため、意外と点が伸びにくい。 多くの受験生の得点は60点付近(文系の場合)に集まるので、基本的な設問を押さえ、「記述」での減点を防ぐ等の細心の注意を払うことが必要だ。
<七> 高度解法[記述設問中心Ⅰ](東大等旧七帝大対応)
以下、東大「現代文」の「解法実践」を概観してみたい。
① 解答用紙の「枠」に当惑する勿れ。ワクワクせよ?!
文理共通の「第一問」(予想配点40点、以下同)は2000年度以降、設問(一)から(四)までが字数制限のない記述問題(各5点)、 (五)が100~120字の字数制限記述問題(10点)、(六)が漢字(各2点×5で全問正解が必須)だ。(一)から(四)までの解答欄は縦13.5cm、横8mmの「枠」(これは「古文」も同じ)2行分(以下のリンクに「解答欄」の見本がある。http://www.mars-21st.com/j.pdf )。 「字数制限なし」で、どれだけ「記述」すればいいのか? と戸惑う受験生もいることだろう。「枠は全部埋めなくてはいけないの?」「空所があったら減点になるの?」「文字の大きさは?」……。 心配する勿れ、悩む必要はない。1行約30字、計60字程度の「記述」と考えればいい。因みにこの「字数」は最も「過不足なく記す」(3~4つの要素)ことに適している「記述」となるので、楽勝だ。ここで例題をみてみよう。2013年度東京大学[全学部](前期)の問題を教材とする。下のリンクからダウンロード可能。
http://kaisoku.kawai-juku.ac.jp/nyushi/honshi/13/t01-31p.pdf
先ずは「第一問」、出典は湯浅博雄著「ランボーの詩の翻訳について」(この筆者は時折入試に出題されている)。設問(一)から(五)までで何が問われているのか、その要諦を概観する(設問(六)は「漢字」)。 (一)は「なぜか」、(二)は「どういうことか」、(三)は「どういうことか」、(四)は「なぜそういえるのか」、(五)は「なぜそういえるのか」(「本文全体の趣旨を踏まえた上で」という条件付き)。 要は、「理由説明記述」「換言記述」「条件付き(「視点」提示)説明記述」の3種類だ。因みに、東大「現代文」の設問は例年、この3種類に限られているといっても過言ではない。それぞれの具体的「解法」を確認したい。
② 「なぜ遅刻した?」「駅で人身事故があったからです」「ふざけるな!!」⇒これ、「理由」じゃないの?!
設問(一)[「もっぱら自分が抜き出し、読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうという態度を取ってはならない」(傍線部ア)とあるが、それはなぜか、説明せよ]。 「理由説明記述」なので、直接的に「何」の「理由」なのかを絞り込む。「態度をとってはならない」ことの「理由」だ。ということは、そうした「態度」をとった場合、その結果として生じる事態は筆者の考えに反するということだ。つまり、「~となってしまうから」といった「理由」になるはずだ。 次に、「傍線部ア」は一文全てであって段落の半ばなので、段落冒頭に注目する(形式段落の「Nの法則」=形式段落の冒頭・末尾が重要)。 「それゆえまた」とある。当該段落内容の「理由」は指示語の「それ」、要は前段落ということになる。前段落の要点は、「冒頭」→「末尾」(これまた、形式段落の「Nの法則」)。 つまり[「文学作品」が「言い表そうとすることは」「言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえない」→「だから」〈意味されている内容・概念・イデー〉のみを「抜き出して」「これこそ」「作家の思想」で「メッセージ」だということは「できない」]ということだ。これが「解答」としての「理由」なのだが、どうも腑に落ちない。「態度をとってはならない」ことの「理由」としては直接的には結び付かないのだ。「態度をとってはならない」という以上、「誰が」という主語が必要なはずだからだ。「主語」と繋げなければ「直接的理由」とはなり得ない。たとえば、本項の見出しの場合では「遅刻」したのは「私」で、「事故」を起こした「電車」とは無関係であって、しかも、「遅刻」の「理由」は「時間」と直結していなければ「直接的理由」とはならないのと同様だ。
さて、「態度をとってはならない」の「主語」は、当該段落の1行目に「翻訳者」とある。 後は字数調整をしてまとめればよい、とはならない。前述の「理由」の「換言部分」があるかどうかを確認する必要がある。「換言部分」がある場合、どちらに基づいて記述すればいいのかを検討すべきだからだ。より適切な「解答」とし減点を防ぐためには欠かせないことだ。「段落相互関係の法則」から探していく。「傍線部ア」の次段落の内容は引き続き「翻訳者がしてはいけないこと」だが、その次の段落(4段落)の後半には「翻訳者」にとって「大きな危うさ」が「内包されている」とある。更に末尾には「おそれがある」とある。「おそれがある」→だから「傍線部ア」の「態度をとってはならない」。 これは直結する。ここが「換言部分」だ。これ以降の段落は「具体例」となっているので無視してよい。では、前述の「理由」(1段落)と4段落を比較してみる。コアとなる「直接的理由」を繋げてみると、1段落は[「翻訳者」は「~ということはできない」から「~という態度をとってはならない」]となり、4段落は[「翻訳者」は「~というおそれがある」から「~という態度をとってはならない」]となる。どちらが適切か。一目瞭然だ。無論、後者だ。ただ、4段落には「なぜ、おそれがあるのか」という「2次的理由」が述べられていない。1段落の「前半」がその「2次的理由」に相当する。そこで、両段落を合体させて組み立てることになる。
字数を無視して成文としてみると「文学作品が言い表そうとすることは、言い方、表し方、志向する仕方と切り離してはありえないので、翻訳者が読み取ったと信じる意味内容・概念の側面に注意を集中してしまうと、原文がきわめて微妙なやり方で告げようとしているなにかを十分に気づかうことから眼をそらせてしまうおそれがあるから。」(136字)となる。フィニッシュは字数調整だ。「解答欄」は1行約30字、計60字程度。 「設問で既に述べられていること」「重複表現」や「文意を損なわない部分」の省略、そして、本文で用いられているより簡潔な「換言」等を駆使する。
ひとつの解答例を示す。「文学作品は表現形態と切り離してはありえないのに、翻訳者が原文の微妙な表現で告げられる内容を気づかわなくなるおそれがあるから。」(62字)。
③ 「足をすくわれる? どういうこと?」「ハシゴを外される…」「ふざけるな!!」⇒これ、「換言」じゃないの?!
設問(三)[「原語と母語とを対話させる」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ]。 「換言記述」だ。ポイントは「対話」という「隠喩(暗喩)表現」だ。 第4章でも述べたように、「比喩」「指示語」、そして、筆者(作者)独自の「表現」(筆者が特別の「意味」を付与した「通常表現」も含む)は「開く」(普遍的な「表現」とすること)必要があるのだ。先ずは、これまでに習得した「解法」に従って考えていく。「傍線部一文一部の法則」により傍線部以外に注目すると、「こうして翻訳者は」→「傍線部ウ」となっている。従って、「傍線部ウ」の「内容」(説明)は「こうして」の指示内容ということになる。「段落冒頭の指示語は前段落全ての内容を指示」するが、「形式段落Nの法則」から前段落後半を読み解く。段落末尾に「ハーモニーを生み出そうとする」とあり、その前文末尾には「調和させようと努める」とある。これらは当然、「換言」であり「補足」の関係だ。そして、後者の冒頭は「それゆえ」となっているので指示内容を確認すると、その1文は「しかし」と「逆説」で始まっているので、更に遡る必要がある(「逆説は直前と一体」)。こうして解いていくと、結局、「傍線部ウ」の「内容」(説明)は、6行前の「翻訳者は、原文の…」から前段落末尾までということになる。さて、ポイントとなる「対話」の「換言」はその原意を考慮すると、「ハーモニーを生み出そうとすること」=「調和させようと努めること」のどちらかで問題ない。また、「傍線部ウ」の「原語」及び「母語」は一般的な「意味」で用いられているので「換言」の必要はない。後はまとめる作業だ(前項と同じ要領)。
ひとつの解答例を示す。「原語の表現形態を読み解き母語の文脈に取り込む際に生じる齟齬を、母語の枠組みや規範を破ってまでも調和させようと努めること。」(60字)。
尚、「換言記述」では解答が成文となった段階で必ず「代入確認」しなくてはならない。解答の成文を傍線部に置換し、前後の部分や文を含めて「形式」「文法」「文脈」「内容」等に不都合が生じないかを確認する。本設問では、「傍線部ウ」の直前に「翻訳者は」とあるので解答では不必要(重複してしまうので)となり、また、次文が「この対話は」という指示語で始まっているので、ここにも成文を「代入」し問題ないことを確認する。
最後に「換言記述」の陥穽に就いての一般的な注意事項。「比喩A→比喩B」「慣用句A→慣用句B」「オノマトペA→オノマトペB」などといった「換言」は成立しないということだ。当然のことなのだが、意外と無頓着な受験生が多い。特に、「隠喩」は分かりづらいので注意すること。
④ 「上を下にする? 何それ?」「視点を変えて…」「ふざけるな!!」⇒これ、「視点変換」じゃないの?!
本項では「第四問」(文系のみ)を考えてみたい。 出典は前田英樹著「深さ、記号」(この筆者は入試で頻出)。 因みに、「第四問」は直近では「随筆」が多かった。「論説文」は2006年以来。設問(一)から(四)までの設問形式(各5点)は例年通り。 (一)は「換言記述」、(二)は「条件付き(「視点」提示)説明記述」、(三)は「換言記述」、(四)は「理由説明記述」だ。
「3種類の設問」最後の「条件付き(「視点」提示 )説明記述」の「解法」を設問(二)で確認する。[「家を見上げることは、歩いている私の身体がこの坂道を延びていき、家の表面を包んでその内側を作り出す流体のようになることである」(傍線部イ)とあるが、家を見上げるときに私の意識の中でどのようなことが起きているというのか、説明せよ]というものだ。勿論、最大のポイントは「設問条件」である「私の意識の中で」の部分だ。「傍線部イ」の主語は「私の身体」なので、要は「身体」から「意識」へ「視点変換」した上での「換言記述」ということだ。そのことを念頭に置いて、「解法」に基づき読み解いていく。
「傍線部イ」の「私の身体が」以降は「比喩」だとすぐ分かるので、如何に「開く」かだ。「傍線部イ」は一文全てなので、直前、直後の一文を確認する。直後はそのまま「流体」の説明となっている。そして、直前は「傍線部イ」の「換言」だ。どのような「換言」なのか。文末が「〈意味〉を顕わしてくるのである」と結ばれている。「意味」=「形而上」、つまりは「意識」の領域(「身体」は「形而下」)だ。ということは、この直前の一文こそ「傍線部イ」を「意識」という「視点」で捉えた説明ということになる。仔細に検討してみよう。前半では、[「わずかに見える家の側面」から「家の全体」(「そういう」という指示語を開く)を「想像したり」「知的に構成したり」するのではない]と否定している。その上で後半では、[私の「身体の上」に「家」は「全体」として「否応なく」「奥行き」を「意味」を顕す]と結んでいる。要するに、「家全体」を「想像」や「知的構成」といった単なる「意識」のみで捉えているのではなく、「身体性」を通じて「奥行き」までをも「意味」(「意識」の上で)として捉えているということだ。そして、「傍線部イ」で「換言補足」している。曰く[私の「身体」が「家の表面」を「包んで」「内側を作り出す流体」のようになる]。 何やら解答の輪郭が浮かび上がってきたではないか。「傍線部イ」は「身体」の「視点」のみで述べられているので、「意識」の「視点」に論及している前文の要素を加味した上で、「比喩」を開き、適宜「換言」すればよいということになる。「内側を作り出す流体」は、次文より「身体が家に対して持つ行動可能性」だと分かっている。つまりは「居住可能性」だ。「否応なく」は「是非もなく」「一方的に」等に「換言」する(無論、そのまま用いてもよいが、「換言」という工夫をすることで確実に「減点」を防げる)。
字数を無視して成文としてみると「わずかに見えてくる家の側面から全体を想像したり知的に構成したりするのではなく、居住可能な奥行きのある家全体としての意味を身体の上で一方的に捉えるということ。」(78字)。 字数調整したひとつの解答例を示す。「見える部分から家全体を知的に構成するのではなく、居住可能な奥行きある家としての意味を、身体的実感を伴い一方的に捉えるということ。」(64字)。
「視点変換」しての「換言記述」(「説明記述」)は通常、本設問のように「条件提示」されている「視点」での「換言説明」が他の部分で為されているので、「解法」に従い読み解いていけばよい。そうでない場合は、単純な「視点変換」(「能動⇔受動」といった「主語変換」等)だと考えればよい。
さあ、如何であったろうか。130年以上に亘って日本の大学の最高峰として君臨し続けている「東京大学」の入試問題。「恐るべし」か「恐るるに足らず」かは、皆さん次第だ。ただ、これまで「概観」してきたように、「解法」に従いさえすれば十分に解ける問題だということは事実だ。一部難解私大のような意地の悪い「難問」「奇問」ではなく、「素直」な問題なのだ。扱った過去問以外にもチャレンジしてみてはどうだろうか。東大受験をするかどうかに拘わらず、実力アップに繋がることは請け合いだ。
ということで、次章の「予告篇」。 第8章は[高度解法(記述設問中心)Ⅱ](東大以外の旧七帝大対応)。